阪神大震災からの復興を支えたオリックス、田口壮選手の思い

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オリックス・バファローズの元選手、田口壮さんが阪神大震災の経験を振り返り、復興の重要性について語りました

震災当時、田口さんは25歳で入団3年目を迎えており、初めて神戸での一人暮らしを始めた直後のことでした

1995年1月17日、震災が発生すると、彼はマンションの10階で激しい揺れに目を覚まし、マンションが崩れるのではないかと恐怖を感じました

震災当日の状況

震災直後、田口さんはオリックスの寮に避難しようと試みましたが、道路の亀裂や倒れた街路樹の影響で困難であることを認識します

2日後、スーパーではわずか8個の果物の缶詰を手に入れることができましたが、彼はさらに多くを求めることには罪悪感を感じていました

キャンプと神戸の現状

オリックスは宮古島でキャンプを開始しましたが、田口さんは神戸が未だ復興の途中であることを痛感しました

家族が無事であった選手たちが次々と無事を伝える中、田口さんは「神戸をほったらかしにして、ここにいていいのか」と悩んでいました

キャンプを終えて神戸に戻ると、彼の目に映るのは倒壊した建物やがれきの山々でした

市民球団としての責任

オーナーの宮内義彦氏が「こんなときに逃げ出して何が市民球団だ」との決意のもと、オープン戦や公式戦が予定通り行われることとなりました

観客1万人以上が集まった初日、田口さんは「こんなときでも見にきてくれるんだ」と感激し、選手たちが果たすべき役割を自覚しました

感謝の気持ちと復興
「生きるための明るい話題がほしい、生きる力を僕たちに求めている」と語る田口さん

オリックスはこの年、「がんばろう神戸」を合言葉にリーグ優勝を果たし、翌年には日本一にも輝きました

その背景には、震災を乗り越えようとする市民の強い思いがあったのです

田口壮さんの震災の思い出は、心に響くものでした。特に、当時の困難な状況を乗り越えて、オリックスが優勝したことは、復興の象徴と言えます。地域の人々への感謝の気持ちを持つことが重要だと感じました。
キーワード解説

  • 阪神大震災とは? 1995年に発生した日本の大地震であり、多くの人々の命や家を奪った。
  • 市民球団とは? 地元の市民が支えるプロ野球チームを意味し、地域との結びつきが強い。
  • リーグ優勝とは? プロ野球における年間の競技の結果、最も成功したチームが獲得するタイトル。

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