阪神の名遊撃手・吉田義男氏が91歳で逝去、故友との深い絆を偲ぶ

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2025年2月3日、阪神タイガースの名遊撃手として知られる吉田義男(よしだ・よしお)氏が91歳でこの世を去りました

吉田氏は1985年に監督として阪神球団初の日本一を達成し、長年にわたり球団の歴史に名を刻んできました

日刊スポーツでは、彼に関する思い出を紹介する連載「吉田義男さんメモリーズ」を展開しています

鉄壁の三遊間

吉田氏は“戦友”と呼び慕ったプロ同期の三塁手・三宅秀史(ひでし)氏との関係が特に注目されています

二人は「よっさん」「みやけ」と互いに呼び合い、鉄壁の三遊間コンビとしてプロ野球史に名を残しました

ユニフォームを脱いだ後も、深い友情は続いており、三宅氏が主催する「三宅会」などのイベントにも吉田氏は顔を出していました

共に過ごした思い出

「三宅会」では、二人が共に旅行を楽しんだり、料理を味わったりする姿が多く見られました

特に熊野古道や香川県の岩黒島での旅行は、思い出に残る瞬間だったといいます

吉田氏は三宅氏の打球に関する恩恵を語り、逆に三宅氏は吉田氏の名人芸を称賛するなど、互いに高め合う関係性がありました

天覧試合とその影響

1959年6月25日には、後楽園球場で行われた対巨人の「天覧試合」において、吉田氏と三宅氏の三遊間コンビが国民の関心を集める要因となり、プロ野球を人気スポーツへと押し上げる結果をもたらしました

お別れの時
吉田氏と三宅氏の最期の別れは、2020年10月のことでした

病に苦しむ三宅氏を訪れ、「元気だせよ」と声をかけた吉田氏

その際、三宅氏は涙を流したといいます

吉田氏は生前「かけがえのない同志を失ったのは痛恨の極みです」と語っていました

2023年7月25日には、吉田氏の米寿を祝う会が開かれました

吉田氏は「130歳まで生きます」と冗談交じりに宣言しましたが、今後再会を果たす二人の姿を多くのファンが望んでいることでしょう

吉田義男氏の逝去は、プロ野球ファンにとって大きなショックです。名選手としてだけでなく、三宅秀史氏との深い友情や信頼関係がしっかりと記憶されていることが、彼の人柄を物語っています。球界における二人の功績は、今後も愛され続けることでしょう。
ネットの反応

阪神タイガースの吉田義男さんに関するニュースに寄せられたコメントは、彼の偉大さと三宅秀史さんとの鉄壁の守備について多くの語りがありました

ファンたちは、吉田さんと三宅さんが築いた連携プレーや守備力を称賛し、特に彼らの三遊間の守備がいかに優れていたかを熱心に語っています

一部のコメントでは、敵将の水原監督の言葉を引用し、「三宅の守備は長嶋より上手い」との見解が演出され、ファンの中での両選手の比較が行われていました

また、特に吉田さんの人間性に触れたコメントも多く、彼が中村GMの弔辞で見せた姿に涙したという思い出が語られるなど、感情が込められていました

さらに、ファミスタのゲームの話や、当時の阪神の歴史的な試合についての想い出も寄せられ、中には「見たかった」との悔しさを表現する声もありました

吉田さんが野手たちに鉄壁の守りを期待する気持ちを伝えつつ、ファンとして彼らの歴史を辿ることがどれほど意味のあることかを改めて感じさせるような内容でした

最後に、一部のコメントでは三宅さんの事故にまつわる感慨深い思いが語られるなど、ファンの深い思い入れが見受けられました

ネットコメントを一部抜粋

  • 敵将・水原監督が、言ったんだよね?「三宅の守備に比べたら長嶋のそれは素人」
  • 「三宅は絶対に長嶋より上手かった」
  • 吉田さんの人間性が最も現われたのは中村GMが亡くなった時の弔辞
  • 「鉄壁の守りを披露する責務がある」
  • 「見たかった」という思いが込められたコメントがありました。
キーワード解説

  • 遊撃手とは?:フィールド上で、二塁手と三塁手の間のポジションを守り、守備力と打撃力が求められる選手です。
  • 三遊間とは?:遊撃手と三塁手の守備範囲を指し、守備力の要となる重要なエリアです。
  • 天覧試合とは?:天皇が観戦する特別な試合で、国民的関心を集めることが多い試合のことです。

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