彼は広島時代に「巨人キラー」と称され、記録的な通算33勝を挙げた
FA移籍で巨人に加わった後はリリーフに転向し、1996年の名勝負「メークドラマ」において胴上げ投手となるという栄誉も得た
川口氏によれば、彼の“巨人キラー”としての原点は、プロ3年目の1983年6月24日に行われた試合に遡る
広島市民球場にて、先発登板した川口氏は初回に原辰徳氏に2ランを浴びるが、試合を一人で投げきるという指示を受け、意気に感じて完投
これが巨人戦での通算33勝のスタートとなった
彼の成長を見守っていた古葉竹識監督は、勝利よりも自分を育てることを優先したと言う
子供の頃からの巨人ファンであった川口氏は、憧れの選手から影響を受けた
ドラフトではロッテから指名されたものの、巨人からも声がかかり、自らの将来について悩んだ結果、社会人野球を選択したという経緯も語った
彼は巨人の選手として登板する際のプレッシャーに対して、自らの役割の重要性を感じていたことも明かしている
川口氏の巨人への思いは特別で、巨人に勝っても負けても、ファンとしての喜びがあった
彼は「川口は嫌い」と言われることがあったものの、勝利をもたらす印象を持たれていたことを誇りに思っている
川口和久(かわぐち・かずひさ)は1959年生まれ
広島での活躍が認められ、1980年ドラフト1位で入団
以降、86年から6年連続二桁勝利を達成し、89年と91年には最多奪三振を獲得
94年にはFAで巨人に移籍し、通算で139勝135敗、2092奪三振を記録した
川口和久氏のインタビューは、彼がどのようにして“巨人キラー”と呼ばれるようになったのか、その背景や葛藤が非常に興味深い内容でした。プロ野球選手としての成長や、古葉監督とのエピソードが彼の成功の鍵であったことがよく分かります。また、巨人ファンとしての彼の気持ちが、勝敗に関わらず一貫している点も多くの人に共感されることでしょう。
キーワード解説
- 巨人キラーとは?:プロ野球選手が特定のチームに対して顕著な成績を残すことを指す。川口和久氏は広島時代に巨人に対し特に強い成績を残した。
- FA移籍とは?:フリーエージェント(FA)制度は選手が特定のチームから契約満了後、自由に他のチームと交渉できる制度である。川口氏はFA移籍で巨人に加わった。
- リリーフとは?:試合中に先発投手の後を受けて投げる救援投手のこと。川口氏は巨人に移籍後、主にリリーフとして活躍した。

