川口和久、巨人の胴上げ投手としての挑戦と復活劇

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元広島および巨人の名投手、川口和久さん(66)が、プロ野球界における自身の経験を振り返るインタビューを受けた

彼は広島時代に「巨人キラー」として知られ、球団最多の通算33勝を記録したが、FAで移籍した巨人ではリリーフに転向し、1996年の「メークドラマ」で胴上げ投手として栄光を掴んだ

キャリアの転機となった1996年

川口は1994年のオフ、FAで巨人に移籍した

しかし、当初は速球も136キロに達するのがやっとで、長年の疲労による体力低下が影響し、自分の思う投球ができない時期が続いた

1995年は先発として4勝を挙げるに留まったが、1996年は早々にローテーションから外れ、2軍に降格した

この時、引退を真剣に考えたという

コーチとの出会い

2軍に降格した川口は、「もう辞めたい」と考えていたが、コーチの宮田征典さんから「辞めるな、お前はジャイアンツの一員だ」と叱責された

宮田コーチは、川口に救援投手に転向するよう提案し、彼のキャリアにおける重要な転機を迎えた

新たな挑戦と神経筋促通法

川口は新しいフォームを模索し、制球重視のリリーフ仕様に変更

球速も戻りつつあり、特にPNF(神経筋促通法)というトレーニングが大きな効果をもたらした

これにより、リリーフ転向後には142〜143キロを記録するまでに回復した

優勝の瞬間
1996年10月6日、巨人が中日と対戦した試合で優勝を決定

川口は試合の最後を締めくくり、胴上げ投手となった

川口は、当時の監督・長嶋茂雄さんに「最後は任せたぞ」と声をかけられ、見事な投球で優勝に貢献したという

この1996年のシーズンは、広島との11.5ゲーム差からの逆転優勝が話題となり、その成績は「メークドラマ」として語り継がれている

川口 和久(かわぐち・かずひさ)は1959年生まれ、広島にドラフト1位で入団

通算成績は435試合で139勝135敗、2092奪三振を誇る

引退後は巨人で投手コーチを務めた

川口さんのインタビューでは、選手としての苦悩とそれを乗り越える姿勢が伺えます。特に、彼が引退を考えた時の心情や、コーチの叱咤によって再び立ち上がる過程は、多くの人に勇気を与えるものです。プロの世界での厳しさと、仲間の支えの重要性を改めて感じる内容でした。
キーワード解説

  • FAとは?:フリーエージェントの略で、選手が契約期間を満了した後、他の球団と自由に契約できる制度を指します。
  • リリーフとは?:試合中に先発投手の後に登板する投手のことを指し、試合を締める役割を担います。
  • PNF(神経筋促通法)とは?:身体障害者のリハビリにも使用されるトレーニング法で、筋肉の活動を促すために特殊なストレッチを行う方法です。

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