彼は広島時代に「巨人キラー」として知られ、球団最多の通算33勝を記録したが、FAで移籍した巨人ではリリーフに転向し、1996年の「メークドラマ」で胴上げ投手として栄光を掴んだ
キャリアの転機となった1996年
川口は1994年のオフ、FAで巨人に移籍したしかし、当初は速球も136キロに達するのがやっとで、長年の疲労による体力低下が影響し、自分の思う投球ができない時期が続いた
1995年は先発として4勝を挙げるに留まったが、1996年は早々にローテーションから外れ、2軍に降格した
この時、引退を真剣に考えたという
コーチとの出会い
2軍に降格した川口は、「もう辞めたい」と考えていたが、コーチの宮田征典さんから「辞めるな、お前はジャイアンツの一員だ」と叱責された宮田コーチは、川口に救援投手に転向するよう提案し、彼のキャリアにおける重要な転機を迎えた
新たな挑戦と神経筋促通法
川口は新しいフォームを模索し、制球重視のリリーフ仕様に変更球速も戻りつつあり、特にPNF(神経筋促通法)というトレーニングが大きな効果をもたらした
これにより、リリーフ転向後には142〜143キロを記録するまでに回復した
優勝の瞬間
1996年10月6日、巨人が中日と対戦した試合で優勝を決定川口は試合の最後を締めくくり、胴上げ投手となった
川口は、当時の監督・長嶋茂雄さんに「最後は任せたぞ」と声をかけられ、見事な投球で優勝に貢献したという
この1996年のシーズンは、広島との11.5ゲーム差からの逆転優勝が話題となり、その成績は「メークドラマ」として語り継がれている
川口 和久(かわぐち・かずひさ)は1959年生まれ、広島にドラフト1位で入団
通算成績は435試合で139勝135敗、2092奪三振を誇る
引退後は巨人で投手コーチを務めた
川口さんのインタビューでは、選手としての苦悩とそれを乗り越える姿勢が伺えます。特に、彼が引退を考えた時の心情や、コーチの叱咤によって再び立ち上がる過程は、多くの人に勇気を与えるものです。プロの世界での厳しさと、仲間の支えの重要性を改めて感じる内容でした。
キーワード解説
- FAとは?:フリーエージェントの略で、選手が契約期間を満了した後、他の球団と自由に契約できる制度を指します。
- リリーフとは?:試合中に先発投手の後に登板する投手のことを指し、試合を締める役割を担います。
- PNF(神経筋促通法)とは?:身体障害者のリハビリにも使用されるトレーニング法で、筋肉の活動を促すために特殊なストレッチを行う方法です。

