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阪神タイガースの伝説的選手、吉田義男さんの追悼セレモニーが執り行われる

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脳梗塞のため、2025年2月3日に91歳で亡くなった元阪神タイガース内野手及び監督、吉田義男さんの通夜が2025年2月7日、兵庫県西宮市内でしめやかに行われました

セレモニーには阪神OBの真弓明信氏、木戸克彦氏、桧山進次郎氏を始め、阪神の谷本修オーナー代行や元球団社長の三好一彦氏など約130人が参列し、故人との別れを惜しみました

思い出を語る阪神OBたち

真弓氏は「吉田さんはとにかく元気だったので、本当にびっくりしました」としのび、内野手から外野手へのコンバート(ポジション変更)についての思い出を語りました

また、木戸氏も「本当に感謝しきれない

野球以外のことでも凄くお世話になりました」と感謝の言葉を口にしました

家族による讃辞

喪主である長女の八田智子さんは、「急に旅立った父ですが、いつもの笑顔と元気な姿を思い出していただければ幸いです」と話し、父への感謝と愛情を示しました

吉田義男の経歴

生年月日 1933年7月26日
出身地 京都市
通算盗塁数 350
ベストナイン選出回数 9回
日本一獲得年 1985年
殿堂入り年 1992年

吉田義男の影響と功績

吉田義男さんは、1953年に阪神タイガースに入団し、俊足巧打の遊撃手として名を馳せました

身長1メートル67センチと小柄な体格にも関わらず、華麗な守備技術から「牛若丸」とも称されました

彼は野球の世界で数々の記録を打ち立てただけでなく、監督としては1985年、21年ぶりのリーグ優勝を果たし、球団初の日本一を達成するなど、阪神タイガースにとってかけがえのない存在でした

さらに、1990年から1995年にはフランス代表の監督を務め、野球の普及に努めました

現役時代の背番号23は阪神の永久欠番としても記憶されています

吉田義男さんの通夜には多くの阪神OBが集まり、彼を偲ぶ場となりました。吉田さんは選手としても監督としても素晴らしい功績を残した人物であり、彼の存在は今もなお阪神ファンや野球界に影響を与え続けています。彼の数々の記録や思い出を振り返ると、野球界の偉大なレジェンドであったことを実感させられます。
ネットの反応

元阪神タイガース監督の吉田義男さんが91歳で亡くなり、通夜には約130人が参列しました

ニュースに寄せられたコメントでは、彼の功績を称賛する声や、阪神タイガースへの愛情が感じられました

一部のコメントでは、吉田さんの存在がいかに大きかったかが語られ、彼が監督を務めた1985年の日本一を忘れないと強調する人も多くいました

中には、「まだまだお元気な姿をテレビで見たかった」という声もあり、ファンが彼をどれほど大切に思っていたかがうかがえます

また、彼が果たした役割がチームや選手たちへの影響を与え続けているとのコメントも見られました

通夜に参列した人々は、吉田さんを天国で見守ってほしいと願うと同時に、阪神タイガースが彼の教えを受け継ぎ、今後の活躍を期待していることが伺えました

吉田さんのような偉大な存在がいたからこそ、今の阪神タイガースがあるという意見も多かったです

全体的に、吉田さんへの感謝の気持ちや野球への情熱が込められたコメントが多く寄せられ、彼の遺したものの大きさを改めて感じることができました

ネットコメントを一部抜粋

  • 今だにお亡くなりになられたことが信じられない。
  • あなた様のおかげでタイガースは日本一になれました。
  • 天国から見ててください。後輩達は、今年こそやってくれますよ!
  • 球団創設90周年の節目の年、よっさんにはチームの行く末を見てから旅立って欲しかった…
  • 終生変わらぬ阪神愛にあふれた“よっさん“こと吉田義男氏のご冥福をお祈りいたします。
キーワード解説

  • 脳梗塞とは?
  • コンバートとは?
  • ベストナインとは?

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