元プロ野球選手、山口晋さんが振り返る広島時代と新たな挑戦
元プロ野球選手の山口晋さん(54)は、かつて広島カープ及び日本ハムファイターズに在籍していたものの、一度も1軍登板を果たさなかったという波瀾万丈な経歴を持つ現在は故郷の静岡・浜松市で「京料理 九花(きゅうか)」の店主として活躍している
彼は過去の思い出を語りながら、自身の現状やプロ野球生活についての振り返りを行った
山口さんは1989年度ドラフトで広島から5位指名を受け、「3年後にエース」との期待を背負ったが、ケガの影響もありプロ生活は苦悩に満ちたものだった
92年オフには、3年で戦力外通告を受けた後、日本ハムの入団テストを受けるも1軍登板は果たせなかった
同期入団の選手たちの中には、後にドラフト1位で新人王を獲得し、引退後も監督を務めた佐々岡真司投手や、通算2119安打を記録し名球会入りした前田智徳外野手がいたが、彼にとってのプロ野球生活は思い描いていたものとは異なった
プロ入団時のエピソード
山口さんが入団会見を迎える前夜、彼は当時の同級生でドラフト2位の仁平馨外野手と共に外出する機会を得たしかし、招待したのは、同じ高校出身の選手であるにもかかわらず、年上の佐々岡投手だった
自称「浅井」という外野手が社会人出身に見えたため、間違って佐々岡投手に声をかけてしまったという
「タメ口で楽しい時間を過ごせた」と山口さんは明るく語るが、その時の間違いは今でも笑い話として語り継がれている
その後も、景気の良い時期には合宿所近くのラーメン店で佐々岡投手にごちそうになったりと、懐かしい思い出に浸る
思い出の選手たち
山口さんがプロ生活の中で、初めてキャッチボールをしたのは、今は故人となった津田恒実投手であった彼はその頃、「炎のストッパー」と呼ばれ、特に90年のシーズンでは右肩の負傷から苦しむサポート役として、同じリハビリチームとなった
リハビリの最中には、津田投手に連れられてプールに通うこともあったが、しばしば取り残されてしまったというエピソードも
現在の生活
広島を離れた山口さんだが、彼の心には若かりし日の思い出が色濃く残っている数年前には、自身のお店に広島のスカウトが訪れ、旧友との再会を果たす場面もあった
多くの選手たちと同じ時代を過ごした経験が、彼にとってかけがえのない財産であることは間違いない
元プロ野球選手の山口晋さんが実際に経験したプロ生活のエピソードは非常に興味深い。1軍登板がなかった彼であるが、今でもその経験を大切にし、生きがいを見つけて新たな挑戦を続けていることに感銘を受ける。
キーワード解説
- ドライフトとは?:プロ野球の選手を選抜するための仕組みで、各チームが若手選手を獲得することを目的とする。
- エースとは?:野球チームで最も信頼される先発投手のことを指し、チームの勝利に大きく貢献する役割を担う。
- ニキビとは?:皮膚の炎症によって生じる小さなブツブツのことで、主に思春期に見られることが多い。
- スーパーサブとは?:試合途中に交代出場する選手を指し、チームの戦術に応じて戦力として活躍する。

